Quantcast
Channel: 「怒れる牡牛」の物語
Viewing all articles
Browse latest Browse all 23

第18部「デニス・ホッパーの物語」~第2章~

$
0
0

Easy_2

「私の映画は私的なアプローチのものが多い。私的過ぎる、観客に目が届かない…と批判された」(マーティン・スコセッシ、『「アメリカン・ニューシネマ」―反逆と再生』より)

「アメリカで不良やるのって命がけなんだなって思った。ドラッグやヒッピーのコミューンが出てきて、人間関係のありかたにしてもガンバッテルって感じがあった。それが<田舎>に出会うと髪が長いってだけで撃ち殺されちゃうんですからね。なるんなら、世界に通用する不良にならなきゃいかんと、真剣に考えさせられた映画でした」(音楽評論家・伊藤政則、『イージー・ライダー』を語る)

…………………………………………

筆者は「70年代症候群」を自称するものだが、その傾向を分かり易くいえば「単にかぶれている」になる。

生涯のベストテンを挙げれば、70年代の映画で埋め尽くされる。
新作も観るには観るが、結局は70年代に戻ってくる。


70年代を過剰にありがたがる―そんなわけで、アメリカン・ニューシネマが好きだ。
好きというか、その精神性みたいなものを信じている、、、といったほうが適切かもしれない。


ちなみに。
ここであらためて解説する必要もないとは思うが、マカロニ・ウェスタンと同様、アメリカン・ニューシネマは和製英語である。
向こうのひとに「アメリカン・ニューシネマが好き」というと、単に最近の映画が好きだと解釈されるので気をつけよう。


アメリカン・ニューシネマって、なにかね。

簡単にいえば・・・
60年代後半から70年代前半にかけて同時発生的に制作された、「敗北」をテーマとする低予算の米国映画のこと。


『俺たちに明日はない』や『卒業』が発表された67年が「その誕生」とされているが、
その最盛期が69年であり、この年に『明日に向って撃て!』と『真夜中のカーボーイ』、そして『イージー・ライダー』が生まれている。
その後も『ファイブ・イージー・ピーセス』(70)や『バニシング・ポイント』(71)、『スケアクロウ』(73)のような傑作が誕生するが、
70年代のなかばからスピルバーグやルーカスに代表される大作主義が台頭、
スコセッシが―敢えてこう表現しようか―その流れに抗うかのように『タクシードライバー』を撮るが、この映画は「対抗」であると同時に「敗北」を宣言したとも捉えられていて、それを証明するようにアメリカン・ニューシネマの流れは80年代に入ると「完全に」途絶えてしまうのだった。


…………………………………………

アメリカン・ニューシネマの金字塔とされている『イージー・ライダー』は、35万ドルの低予算・6週間の短期間で制作され、しかし7千万ドルを超える興行記録を打ち立てた「大」黒字映画である。

いまの感覚でいうと、良質のインディーズ映画は批評面で成功しても興行面で成功することは「まず」考えられない。
インディーズの映画作家たちは「それで充分、次回作の資金さえ集められれば」と、粛々と創作をつづけるのみだ。
だからこの「大」黒字は俄かに信じ難いが、時代の空気と完全に一致したというか、だからこそアメリカン・ニューシネマなどという「歴史的な命名」がなされたのだろう。


ピーター・フォンダ演じる主人公は、チョッパーバイクに乗りキャプテン・アメリカを名乗る。
その連れを演じたのが監督も担当したデニス・ホッパーで、彼の役名はビリー。


ビリーはビリー・ザ・キッドを想起させ、キャプテン・アメリカの本名はワイアットだからワイアット・アープ、、、というのは識者の指摘だが、なるほど、この映画はオートバイを駆使する新しい西部劇と解釈することも出来る。

しかも、主人公が敗北するっていう・・・。

コカインの密売で大金を手にしたキャプテン・アメリカとビリーは、謝肉祭で盛り上がるニューオーリンズを目指す。
途中、自称「弁護士」を名乗る妙な男(ジャック・ニコルソン)と出会い意気投合、だが保守的な南部に入ると、住民たちは「あからさまな敵意」を見せるのだった―これが、『イージー・ライダー』の「おおよそ」の物語。


通常の西部劇であれば、主人公は町にふらりとやってきて、そこを牛耳る悪者を倒すことになる。
しかし『イージー・ライダー』はその逆を描く、
『真夜中のカーボーイ』が「カウボーイのスタイルが売春の小道具へ」と堕ちていく物語だったことを考えれば、アメリカン・ニューシネマというものはクラシックに対する反逆であったことが分かる。


事実、デニス・ホッパーはこの映画によってカウンターカルチャー(対抗文化)の代表と称されるようになり、その勢いのまま第二作『ラストムービー』(71)を制作することになった。

…………………………………………

挑発的でひとを喰うタイトルの『ラストムービー』は、皮肉にもデニス・ホッパーのキャリアを断ち切る「超」問題作とされ、映画制作の資格を失ってしまった。

難解であることと不入りであることを理由とする上映の打ち切り―『殺しの烙印』(67)で日活を追われた鈴木清順に似ているが、清順がマトモな精神状態で狂った映画を撮ったのに対し、ホッパーはマトモではなかったとされている。

映画内映画というか、『ラストムービー』が描くのは映画のクルーやスタントマンたちの狂乱だった。

ドラッグによる幻覚が映像化され、それが延々とつづく・・・いま観ると「そーとー」面白く、さらにいえば難解でもなんでもないのだが、じつは撮影中にも映画と同じことが展開されていた、つまり監督ホッパー自身がドラッグにはまり、そこから抜け出せなくなっていたのである―。

…………………………………………

つづく。

次回は、5月上旬を予定。

…………………………………………

本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 23

Latest Images

Trending Articles





Latest Images